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北海道合鴨水稲会の考え
──北海道合鴨水稲会十周年記念誌「合鴨の和」序文より抜粋──


 日本における稲作の歴史の中で、水田に合鴨を放し、米と合鴨(肉)を同時に生産し、販売も農家自らの手で行うという取り組みがかつてあったでしょうか。そんな画期的、創造的な農法、合鴨水稲同時作が1991年の合鴨サミット(福岡県桂川町)で全国の人々に紹介されました。


同年に北海道でもはじめて実践が開始されました。そして、北海道に広くそのエネルギーが波及し、多くの人たちが賛同者となって大いに盛り上がっていったことを、今も印象深く覚えています。そんな中で、合鴨水稲会発足の気運が高まり、199412月に『北海道合鴨水稲会』が設立したのです。設立当初を振り返りますと、前代表の浅野晃彦氏をはじめ多くの方々の情熱と行動により、当会の核が築き上げられたことを、とても喜び、感謝を申し上げるところです。


さて、この10年間の日本農業の情勢はガット・ウルグアイ・ラウンドの農業合意(199312月)、それをうけたWTO発足(19951月)による自由貿易体制の開始、旧食管法の廃止と新食糧法の制定、最近では米も含めた輸入自由化の危機にさらされています。まるで出口の見えないトンネルに日本農業は入ってしまっているかのように思われます。 こんな厳しい状況ではありましたが、私たちは、合鴨農法を通じ、農業に対する価値観の変革や自立の精神を養い、単なる食糧生産だけでなく環境の保全、都市との交流、食農教育、家族の絆の強まりなど様々なことに取り組み、それを糧にして成長できた10年間ではなかったでしょうか。

 


なぜ合鴨農法なのか、面白さの中からいろいろなことが見えてくる。そんな原点にかえり新時代の扉を開こうではありませんか。今後ますます会員皆様の斬新な発想と行動力が求められている時代ではないでしょうか。地域に根ざし、活力ある生きざまなどを会の中で充分に発揮し、共に語らい共に前進しましょう。

20052月 代表世話人 折坂 義一

 

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